高知地方裁判所 平成元年(ワ)485号 判決 1992年3月30日
本訴原告(反訴被告)(以下「原告」という。)
甲野春子
右訴訟代理人弁護士
土田嘉平
同
梶原守光
同
山原和生
同
戸田隆俊
同
谷脇和仁
本訴被告(反訴原告)(以下「被告」という。)
部落解放同盟高知市連絡協議会
右代表者議長
森田益子
本訴被告(反訴原告)(以下「被告」という。)
森田益子
右両名訴訟代理人弁護士
藤原充子
同
横川英一
右藤原充子訴訟復代理人弁護士
小泉武嗣
主文
一 被告らは、原告に対し、各自金六〇万円及び内金五〇万円に対する平成元年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の本訴請求及び被告らの反訴請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、これを五分し、その三を被告らの、その余を原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一本訴
1 被告らは、原告に対し、各自金六〇〇万円及び内金五〇〇万円に対する平成元年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、原告のため、「高知新聞」及び「解放新聞高知支協ニュース」に、別紙広告(一)記載の謝罪広告を1.5倍活字(但し、見出しは三倍活字、原告・被告らの表示は二倍活字)をもって各一回掲載せよ。
二反訴
1 原告は、被告らに対し、それぞれ金三五〇万円及び内金三〇〇万円に対する平成元年一二月一五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告は、被告らのため、「高知新聞」、「赤旗全国版」、「高知民報」、「解放の道全国版」及び「解放の道高知版」に、別紙広告(二)記載の謝罪広告を1.5倍活字(但し、見出しは三倍活字、原・被告らの表示は二倍活字)をもって各一回掲載せよ。
第二事案の概要
原告は、被告らから原告の父親が同和地区出身であることを明らかにすること(以下、両当事者の表現に従って「部落民宣言」ということがある。)を強要され、意思決定・意思表明の自由を侵害された上、これを巡るその後の経過の中で、プライバシーを侵害され、名誉を毀損された旨主張し、被告部落解放同盟高知市連絡協議会(以下「被告解同市協」という。)に対しては民法四四条一項類推適用又は同法七一五条一項に基づき、被告森田益子(以下「被告森田」という。)に対しては同法七〇九条に基づき、それぞれ損害賠償及び謝罪広告を請求している。
被告らは、原告が被告らから部落民宣言を強要されたなどと公表したため、これによって社会的信用(被告森田については更に政治的信用)を失墜させられ、名誉を毀損された旨主張し、民法七〇九条に基づいて損害賠償及び謝罪広告を請求している。
一事実関係(文末の括弧内に証拠を示した事実は当該証拠で認定した事実であり、その余の事実は当事者間に争いがない。)
1 当事者
(一) 原告は、高知市立一ツ橋小学校(以下「一ツ橋小」という。)の教員である。
(二) 被告解同市協は、部落解放同盟の構成組織である支部のうち、高知市内の支部によって組織された連絡協議機関であって権利能力なき社団であり、被告森田は、被告解同市協の議長として代表者の地位にあり、かつ、昭和五〇年五月から平成元年七月一二日まで日本社会党公認の高知市議会議員、同月二四日から同じく高知県議会議員の地位にあるものである。
2 本件の発端及びいわゆる同和問題
(一) 本件は、昭和六三年一月二〇日、同月二一日及び同年四月二〇日の三回にわたり、一ツ橋小近辺の電柱、公園便所扉、塀等に「おしんエタしね」「一ツばしエタ先生のヒステリー」などという落書(以下「本件落書」という。)が発見されたことに端を発したものである。
(二) 昭和四〇年八月の同和対策審議会答申では、「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会のおいても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。」と定義され、「その特徴は、多数の国民が社会的現実としての差別があるために一定地域に共同体的集落を形成していることにある。最近この集団的居住地域から離脱して一般地区に混住するものも多くなってきているが、それらの人々もまたその伝統的集落の出身なるがゆえに陰に陽に身分的差別のあつかいをうけている。集落をつくっている住民は、かつて『特殊部落』『後進部落』『細民部落』など蔑称でよばれ、現在でも『未解放部落』または『部落』などとよばれ、明らかな差別の対象となっているのである。」とされており、更に、昭和六〇年八月の地域改善対策協議会基本問題検討部会報告書には、同和地区の生活環境や同和関係者の生活実態は大幅に改善されてきているが、同和地区や同和関係者に対する社会的偏見は、その解消が進みつつあるというものの、現在に至るまでも根強く残されてきた旨記述されている(<書証番号略>)。
3 原告に対する部落民宣言の強要に関する事実(本訴関係)
(一) 被告らは、昭和六三年四月二〇日、高知市教育委員会(市教委)に対し、本件落書に関する調査を申し入れ、翌二一日、「地区出身者がいるとするなら、相次ぐ落書で、自ら名乗り出ることもできず、おびえ苦しんでいることだろう。速やかに適切な指導の手を差し伸べるべきだ。」と要求した。
(二) 原告の夫甲野一郎(平成二年一月死亡。以下「一郎」という。)は、勤務先の小学校で同和教育主任を努めた後、昭和五九年から市教委同和教育課に勤め、昭和六三年四月課長となったが、同月二九日、原告に対し、「解同や市教委では落書された者はお前だと言っている。解同の申し入れもあり、市教委の意向でもあるので、一ツ橋小の職員会で『私の父親は同和部落の出身者でした。落書のエタ先生とは私を指しているという見方もあるらしいが、皆さんはどう思いますか。』という部落民宣言をしてくれんか。俺の立場もあるので言って欲しい。」と話した(<書証番号略>、証人寺村、原告)。
(三) 寺村周一(以下「寺村」という。)は、同年三月の退職時教育次長の地位にあったが、同年五月三日、原告に対し、自然な形で自分の考え方や体験を述べることによって同和教育をより現実的で着実なものにすることができる、市教委や被告解同市協を理解し、一郎の同和教育課長としての立場を十分理解した上、大きな気持ちになって一郎に力を貸して欲しいなどと話した(証人寺村)。
(四) 一郎は、同月五日ころ、原告に対し、「俺はもう解同とは直接話はできん状態になっている。解同が木村(後記(五)の木村重来を指す。)を通して、一〇〇人からを動員して俺を糾弾すると言うてきた。」と話した(<書証番号略>、原告)。
(五) 木村重来(以下「木村」という。)は、当時同和教育課長補佐であったが、同月九日、一ツ橋小校長に対し、①本人が地区出身であると意識しているか否かとは関係なく差別される対象者として見られてきた実態があり、地区出身者と見られることは何ら恥じることではないし、これによって今日までの教師としての実践の価値が左右されるわけではない、②差別事件の対応は事実に基づいて客観的かつ冷静に行うべきものであり、最初から本件落書の対象が自分であるとは考えられないと決め付けるのは疑問である、③原告は、地区出身であるという意識がなく、本件落書の対象が自分であるとは考えないということでよいかも知れないが、同和教育課長である一郎はそれでは済まされないし、教師であれば、同和教育の基本からして父親の存在を認められないというのは疑問である。という考え方がある旨述べた(<書証番号略>、証人木村)。
(六) 被告森田は、同年六月一日、原告に対し、電話で「同じ胸の痛みを持つ人間同志として、ぜひ個人的に会って話をしたい。」と話した。
4 原告に対するプライバシー侵害及び名誉毀損に関する事実(本訴関係)
(一) プライバシー侵害
原告は、高知市教育長森田毅(以下「教育長森田」という。)、高知市長及び被告森田との間で、本件部落民宣言強要問題について書簡合計一三通を交わしたが、被告森田は、被告解同市協議長の名で、自ら又は第三者を通じ、右書簡一三通の写しを、同年九月一九日高知市内の教頭会に、同年一〇月五日同じく校長会にそれぞれ交付し、同年一一月八日一ツ橋小の全教職員三五名に、同月九日原告の娘婿二名にそれぞれ郵送したが、右書簡一三通のうち被告森田から原告宛の同年九月八日付書簡には、別紙記事(一)のとおり記載されていた。
(二) プライバシー侵害及び名誉毀損
被告らは、被告解同市協の機関紙である「解放新聞高知市協ニュース」(以下「解放新聞」という。)において、昭和六三年五月一六日付では、「四月二〇日またしても一ツ橋小学校周辺で三件もの差別落書きが発見され、当該一ツ橋小に部落出身の女先生がいないか調査していました。ところが部落出身の女性教師が実際に存在することが明らかになりました。」と報じ、その後も本件落書事件に関する記事を報道し続け、平成元年四月一七日付には「親を軽蔑する子ほど不幸なものはいない」との見出しを掲げ、別紙記事(二)のとおりの記事を掲載した。
(三) 名誉毀損
被告らは、「解放新聞」において、昭和六三年一二月二六日付では、原告は被告森田に対し高知市と連帯して慰謝料二〇〇万円を支払うよう請求してきたが、二〇〇万円をもらって円満解決するという発想は常識を疑わざるを得ず、原告には人間変革が必要で、自己解放されない人間のあわれさをしみじみ感じるなどと報道し、平成元年五月二二日付では、原告は、言い掛りをつけた脅迫まがいの手紙を突き付け、一方的に客観的な証拠もなく被告らの名誉を著しく傷つけており、物事を科学的・合理的にみる習性が身についていないようであるなどと報道した(<書証番号略>)。
5 被告らに対する名誉毀損に関する事実(反訴関係)
原告は、被告らから一〇〇人を動員して糾弾するなどと脅迫され部落民宣言を強要された旨、被告らが原告を標的として本件落書をした旨の情報を報道機関に提供し、遅くとも平成元年一月二七日以降、多数回にわたって「赤旗」、「解放の道」、「高知民報」等に右情報を報道させ、また、右同日、高知県教育会館で開催された「解同・市教委による人権侵害、教育介入事件真相報告集会」において、被告らが原告に部落民宣言を強要したこと、原告及びその支援者は本件落書そのものが被告らによってねつ造されたと考えていることなどを約三〇〇名の聴衆に訴え、その後、高知市内のRKCホールでも同旨の訴えをした。
二争点
1 本訴
(一) 被告らは、原告に対し、部落民宣言を強要したか。
原告は、被告らが市教委を介し、更に市教委と一体となって原告に部落民宣言を強要し、原告の意思決定・意思表明の自由を侵害したと主張している。これに対し、被告らは、原告に対して部落民宣言を強要した事実はないと反論している。
(二) 被告らの右一4の各行為は、原告のプライバシーを侵害し又は名誉を毀損するものであるか。これが肯定された場合、右各行為につき不法行為の成立を否定すべき事由があるか。
原告は、被告らが右一4(一)の行為によって原告の身分や原告及びその家族の私生活に関する事項を広く一般に公表して原告のプライバシーを侵害し、同(二)の行為によって全く公益とは関係のない私的な事実を摘示し、原告のプライバシーを侵害すると共に、社会的信用を傷つけて名誉を毀損し、同(三)の行為によって原告の名誉を毀損した旨主張している。これに対し、被告らは、右一4(一)の行為につき、書簡一三通を一ツ橋小の教職員等に配付したのは、原告が昭和六三年九月中旬以降数回にわたり、一ツ橋小の職場等で被告らや市教委から部落民宣言をするよう強要されたと事実無根の訴えをしたので、誤った事実関係を訂正して真実を知らせるためであるから、違法性がない旨反論し、同(二)及び(三)の各行為につき、本件落書事件を巡る諸問題は被差別部落に関する問題であり、社会性、公益性を有するものであって、部落問題を解消するため、一定の基本的視点に立った事実関係を報道することは、表現の自由の行使として許される旨反論している。
(三) 損害額はどうか。また、原状回復処分として謝罪広告の掲載が必要か。
原告は、損害額につき、被告らの不法行為によって五〇〇万円相当の精神的損害を被ったほか、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人らに委任し、その報酬を高知弁護士会報酬規定により支払う旨約しており、その弁護士費用として一〇〇万円が相当である旨主張している。
2 反訴
(一) 原告の右一5の行為は、被告らの名誉を毀損するものであるか。これが肯定された場合、右行為につき不法行為の成立を否定すべき事由があるか。
被告らは、原告に部落民宣言を強要したことはなく、本件落書をしたこともないにもかかわらず、原告が何らの合理的根拠もなく単なる憶測によって右一5の行為に及んだため、社会的信用(被告森田ついては更に政治的信用)を失墜させられ、名誉を毀損された旨主張している。これに対し、原告は、本件落書を発端として被告らが原告に部落民宣言を強要したので、基本的人権や同和教育のあり方等を広く一般の問題として提起したのであり、被告らの原告に対する右強要の事実は合理的な根拠によって明らかである旨反論している。
(二) 損害額はどうか。また、原状回復処分として謝罪広告の掲載が必要か。
被告らは、損害額につき、原告の不法行為によってそれぞれ三〇〇万円相当の精神的ないし非財産的損害を被ったほか、反訴の提起及び追行を被告ら訴訟代理人らに委任しており、その弁護士費用として被告ら各自につき五〇万円が相当である旨主張している。
第三争点に対する判断(以下、事実の認定については原則として括弧内に証拠を示し、年月日の表記について年を省略したものは昭和六三年を指す。)
一原告に対する部落民宣言の強要について(争点1(一))
1 被告ら及び市教委の同和教育に関する基本的な考え方
(一) 被告らは、部落差別から部落民衆を完全に解放することを目的としており、本人が部落出身者であることを自覚するか否かにかかわらず現実には差別の対象とされた事例が数多く存在するのであって、部落出身者は差別から逃げることなく胸を張って自らの出身を名乗ることによって差別のない社会を求めて闘うべきであり、差別から逃げることは差別を肯定して差別者の側に立つことになると考えている(<書証番号略>、被告森田)。そして、被告らは、部落民が差別に立ち向かうため部落民としての自覚を高め、自ら進んで部落民宣言をすることを願っており、右自覚を促すため説得し、自信を持たせるための指導や援助をしなければならないと考え、特に地区出身の教師が真の解放教育を実現するためには部落民宣言をして差別の実態を明らかにする必要があるとの見解を有している(<書証番号略>、被告森田、弁論の全趣旨)。
しかし、被告らは、部落出身者が部落民としての自覚を持ち、自らの意思に基づいて部落民宣言をすることが必要であり、これを強制することは許されないし、強制しても意味がないと考えている(<書証番号略>、被告森田)。
(二) 市教委は、五月三一日の臨時教育委員会に参考資料として提出した「吉田町周辺落書き事件関連事項に対する市教委の総括と見解」と題する書面において、「日常からの職場集団づくりの中で、地区出身者であることが明らかにでき、相互批判ができる開かれた(話し合える)職場、職員集団づくりを目指さなければならない。」「地区出身者を核とする同和教育の深化を図る必要があるし、そのために本人が職場内でも中心的取り組みができるような条件づくりや、指導援助が重要であることを痛感する。」と記載しており、右教育委員会における決定で「同和地区出身者がそのことを明らかにし、自らの体験を踏まえ、部落差別の現実の姿や自らの生き方を明らかにするという行為は、二度とこのような差別を繰り返してほしくない、さらにはこのような不合理な差別を一日も早くなくしてほしいという訴えであると同時に、周囲に対しては差別を現実のものと認識させ、自分自身についても正しい自覚が生まれるという面で効果のあるものであると考えます。」と述べている(<書証番号略>、証人森田)。
もっとも、市教委は、右決定で続けて「しかし、現在のように厳しい差別が存在する状況のもとにあっては、このことは決して強制すべきものでないし、されるものでもありません。個人の思想信条の自由から言いましても、あくまで個人の意志によってのみなされるべきものであります。」と述べている(<書証番号略>)。
(三) 以上のとおり、被告ら及び市教委は、地区出身者とりわけ地区出身の教師が部落民宣言をすることは同和教育の推進にとって効果があるものの、これを強制することは許されないと考えていたということができる。
2 四月二一日までの状況
(一) 証拠によって認められる事実は、次のとおりである。
被告解同市協事務局長は、一月の落書の際、その内容が「エタせんこうのヒステリー」というものであったため、市教委に対し、差別によって心を痛めている教師がいるかも知れないので調査して欲しい旨要請したが、一郎から対象者はいないという回答を受けた(証人木村、被告森田)。
その後、被告森田は、四月二〇日に発見された落書の内容が「一ツばしエタ先生のヒステリー」というものであったので、その日のうちに同和教育課に電話を掛け、一ツ橋小に被差別部落出身の女性教師かいるか否かの調査を申し入れ、「適切な指導」を要請した(<書証番号略>、証人木村、被告森田)。これに対し、学校教育課長は、翌二一日午前中、一ツ橋小には落書の対象に該当する者はいないと思う旨回答したが、一郎は、同日午後二時ころ、市教委に無断で、被告解同市協事務局長に対し、一ツ橋小には原告外一名の該当者がいる旨連絡した(<書証番号略>、証人木村、被告森田)。その後、教育次長、学校教育課長及び木村は、被告森田から、同和教育課長の妻である原告が該当者であれば、当然同和教育課長が自らそのことを明らかにすべきであったのに、市教委の者が誰も知らなかったことについて非難されると共に、市教委から一ツ橋小校長にも原告が差別を受ける対象であることを話すべきであるとの指摘を受けたため、同日夕方、一ツ橋小校長に対し、差別を受ける対象の教師が存在することを前提として同和教育を進め、本件落書事件の処理に当たってもらいたい旨要請したが、この段階で原告の個人名を示すのは時期尚早であると判断してこれを明らかにしなかった(<書証番号略>、証人木村)。
他方において、被告森田は、四月一五日ころ、部落民宣言をして講演することになっていた同和教育課啓発指導班長との打ち合せのため同和教育課を訪れた際、右班長との話が終わった後、一郎に対し次は一郎に講演をしてもらいたい旨要請していた(<書証番号略>、証人木村)。
(二) 被告森田が市教委に申し入れた「適切な指導」の意味等について検討する。
被告森田は、部落民であることを暴かれたり、差別されたりしないという保障があれば、部落民としての自覚は必要でないが、現実には、差別意識が根強く存在しているため、部落民は、結婚、就職等の社会生活の場において、自己の出身を知らされ、相当な苦痛を受け、ときには自らの生命を断つといったことも見受けられるのであって、このような状況の下で、本件落書を知ったとき、これによっておびえ苦しんでいる人がいるのではないか、そうであれば適切な指導の手を差し伸べるべきではないかと考え、市教委に対し、「適切な指導」、すなわち、本件落書の対象とされた教師が判明すれば、その対象者に自信と勇気を持たせ、自らの出身を明らかにして堂々と生きていくよう指導し、その者を中心に据えた解放教育を実践することを要請した(<書証番号略>、被告森田、弁論の全趣旨)。
更に進んで、右「適切な指導」が原告に部落民宣言をさせることを意味していたと認められるかどうかをみるに、被告森田は、右要請をした時点では、一郎の妻の父親が地区出身であることは知っていたが、一郎の妻が一ツ橋小に勤めていることまでは知らなかった旨供述しているところ、同供述内容は右(一)で認定した四月二〇日から翌二一日にかけての事実経過と矛盾しない上、木村が、一月ころには一郎の妻が一ツ橋小に勤務しており、その父親が地区出身であることを知っていたこと(証人木村)を考慮しても、このことから直ちに被告森田もこれを知っていたとはいえないので、被告森田が特に原告を念頭に置いて「適切な指導」を申し入れたと認めることはできない。また、被告森田が四月一五日ころ一郎に要請した内容は、その際の状況が他の者との打ち合せに続くものであって、威圧的なものではなかったことのほか、一郎が同和教育課長になる前に講演会で妻の父親が地区出身であることを明らかにして差別を受けた体験を話し、同和教育を推進してきたこと(<書証番号略>、証人木村、原告)に照らしても、一郎に右同様の話をして欲しいというものであり、原告に部落民宣言をさせて欲しいというものではなかったと考えられるので、右判断を左右するものではない。
なお、市教委についても、一ツ橋小に該当者がいる旨の一郎の連絡に先立って学校教育課長が該当者はいない旨被告解同市協に回答したこと、木村らは四月二一日の時点では一ツ橋小校長に対し原告の個人名を明らかにしなかったことなどを考慮すると、市教委が当初から本件落書を原告と結び付けて行動していたと認めることはできない。
3 四月二二日から同月二九日までの経緯
(一) 証拠によって認められる事実は、次のとおりである。
一郎は、木村を介して被告森田に話し合いを申し入れ、同月二二日、被告森田に会い、①原告は以前から今年度限りで退職するつもりであったので、このままそっと退かせて欲しい、②原告には地区出身であるという意識がない、③地区出身であることを宣言して同和教育を推進するのもよいが、地区出身でない者がその後ろに回って教育することもそれなりに効果を挙げているなどと話したが、被告森田から、原告がその父親を認め理解することが同和教育の基本であり、それができれば地区出身であることを明らかにでき、自分自身の変革と職場での同和教育につながるので、原告が職員会で父親が地区出身であることを明らかにすることができるよう原告の心の支えになって欲しいなどと説得され、結局、原告と十分話をしてみるので時間を貸して欲しい旨答えた(<書証番号略>、証人木村、原告、被告森田)。
被告森田は、同和教育課長である一郎が自分の妻である原告に対し地区出身であることを明らかにするよう指導しないのは問題であると考え、同月二三日ころ、右話し合いに同席していた木村に対し、一郎は同和教育課長の立場が理解できていないなどと指摘した(<書証番号略>、証人木村、被告森田)。この指摘を受けた木村は、市教委としては、従来、差別事件が発生すると、まず被差別者から調査を始めて対処を検討し、これを解決してきたこと、地区出身という意識がなくても差別される実態があること、一郎が以前から講演会で妻の父親が地区出身であることを明らかにして同和教育を推進してきたことなどから、被告森田に対する一郎の右発言には問題があると考えた(<書証番号略>、証人木村)。
一郎は、同月二五日、木村及び被告解同市協事務局長に対し、原告が同月二七日の職員会で自ら地区出身であることを宣言するよう気持の整理をしているので、少し待って欲しい旨話したが、同月二七日、木村及び被告森田に対し、原告との話し合いがつかず、原告が欠勤したことを報告すると共に、今少し時間を貸して欲しいと要請し、同月二八日には、自らの気持の整理のため欠勤し、進退伺いを出したい旨寺村に訴えた(<書証番号略>、証人寺村)。
一郎は、同月二九日、原告に対し、前記第二の一3(二)のとおり原告に部落民宣言をして欲しい旨話したが、原告は、同和教育課長の妻である、あるいは一ツ橋小の教師であるから、本件落書の該当者にされ、部落民宣言を強要されるのであれば、一郎と離婚し、一ツ橋小を退職するなどと述べ、部落民宣言をすることを明確に拒絶した(<書証番号略>、原告)。
(二) 一郎が四月二二日被告森田に話し合いを申し入れた理由及び一郎が同月二九日原告に部落民宣言をして欲しい旨話した理由を検討する。
まず、一郎が被告森田に話し合いを申し入れた理由について、原告は、一郎において、市教委が被告らの申し入れを受けて原告に部落民宣言をさせようとしていると判断し、被告森田にこれを思い止まらせようとした旨供述しているところ、一郎が被告森田に話した内容は原告が部落民宣言をしないことを了解して欲しいというものであったことに加え、被告ら及び市教委の同和教育に関する基本的な考え方や右申し入れに至るまでの経緯に照らすと、原告の右供述は十分信用できるというべきである。
なお、木村は、一郎が一月には差別される可能性のある者はいないと報告したにもかかわらず、四月には原告外一名が存在すると報告したので、その不一致について話をしたいということであったと思う旨証言しているが、同証言は、木村の推測に過ぎない上、一郎が被告森田に話した内容とも符号しないので、信用することができない。
次に、一郎が原告に部落民宣言をして欲しい旨話した理由について検討するに、被告ら及び市教委の同和教育に関する基本的な考え方、被告森田が四月二二日一郎に話した内容、同月二一日から同月二九日に至るまでの一郎の言動等に加え、木村は、四月終わりか五月初めころ、一郎から部落民宣言とはどのようなことをすればよいかと聞かれ、一郎が原告との結婚の際に差別を受けたこと、本件落書にみられるような厳しい差別が残っていること、この現実を見据えて差別と取り組んでいかなければならないことなどを話せばよいと答えた旨証言していることをも考慮すると、一郎は、同和教育課長としての立場と原告の夫としての立場との間で苦慮した末、従前の講演会における自らの発言や同和教育課長としての立場から、被告ら及び市教委の基本的な考え方に即して行動せざるを得ないと考え、四月二九日に至ってやむなく原告に部落民宣言をして欲しい旨話したとみることができる。
しかし、四月二二日の被告森田の言動をみても、被告解同市協の組織の圧力を背景として一郎に対し威嚇的な文言を発するなどの不適切な言動があったとは認められないこと、その他、被告ら及び市教委が一郎に対し威圧的な手段を用いて原告に部落民宣言をさせることを余儀なくさせたような事情は窺われないことにかんがみると、一郎が被告ら及び市教委に強要されて原告に部落民宣言をして欲しい旨話したと認めることはできない。
4 五月三日の状況
(一) まず、寺村が五月三日原告と会った目的について検討する。
寺村は、四月二八日市教委へ赴いた際、欠勤中たまたま市教委に出てきた一郎から、原告の父親が地区出身であることを講演会等において自然な形で話してきたが、そのことで原告が立腹し離婚や退職をすると言っていると聞き、一郎に対し原告との間の意識のずれをなくすため話し合うよう助言すると、一郎から最近は全く話し合えない状態であるので、原告と会って欲しいと依頼され、離婚や退職の問題について原告と話し合うため、五月三日原告と会ったのであり、その結果右問題は解消した旨証言している。
右証言によると、寺村が原告と会ったのは一郎と原告との間の意識のずれをなくすためであったということができる。これに加え、寺村の証言によると、意識のずれとは、要するに、一郎が講演会等において自然な形で原告の父親が地区出身であることを話してきたのに対し、原告は自らの出身を明らかにするのを拒んでおり、一郎と原告が同和教育について異なった考え方をしていることを意味し、寺村は、この意識のずれを解消するためには原告が一郎と同じ考え方をするのが望ましいと考えていたと認められることを考慮すると、寺村は、原告が自ら地区出身であることを明らかにするよう説得する目的で原告と会ったとみるのが相当である。
なお、寺村の証言中には、四月二八日の時点で既に一郎と原告との間に離婚や退職の問題が出ていたとする部分があり、被告森田の供述及び教育長森田の証言中にもこれに沿う部分があるが、原告は、同月二九日夜に初めて一郎から部落民宣言をして欲しいと言われたため、前記3(一)のとおり離婚や退職を考えた旨供述していること、原告が一郎から部落民宣言をして欲しいと言われたことは衝撃的な出来事であって、その時期等について記憶違いをするとは考え難いこと、一郎の同月二五日及び同月二七日の言動は、同和教育課長としての立場と原告の夫としての立場との間で苦慮していた一郎がその一存でしたものとみることができ、一郎の右言動から直ちに一郎が同月二八日以前に原告に対し部落民宣言をして欲しいと話していたとは認め難いことなどを併せ考えると、寺村の右証言部分は信用することができない。
(二) 次に、前記第二の一3(三)の寺村の原告に対する話の内容について検討する。
右(一)の寺村が原告と会った理由のほか、寺村の証言によると、市教委や被告解同市協を理解するというのはこれらの者の同和教育に関する方針を理解することを意味し、一郎の立場とは高知市の同和教育の責任者としての立場を意味すること、寺村は、差別に立ち向かうためには、部落民としての自覚を高め、自ら進んで部落民宣言をすることが望ましいと考えていることなどが認められるから、寺村の話の内容は、原告に対し、市教委や被告解同市協の同和教育に関する方針を理解し、一郎の立場も考え、自ら進んで父親が地区出身であることを表明して欲しいというものであったと認めることができる。
なお、寺村と原告との話し合いの結果をみると、原告は、寺村に対し、部落民宣言をして同和教育をすることは、部落民宣言をした教職員と他の教職員との間に隔たりが生じて教育活動の足並みが乱れるので、効果があるとは思っていないと話し、寺村に原告の考えを理解してもらえた旨供述しているところ、原告は、四月二九日、一郎から部落民宣言をして欲しいと言われたのに対し、明確にこれを拒絶したこと、寺村も、原告から右のような部落民宣言の効果に関する話があった旨証言していること、最後には原告の気持が和やかになった旨の寺村の証言は、原告の右供述内容を前提として初めて了解できることなどに徴すると、原告の右供述は信用することができ、原告は寺村に対し部落民宣言をする意思がないことを明確に表明したと認められる。
(三) 更に、寺村が被告らから要請されて原告と会ったと認められるかどうかについて検討する。
被告ら及び市教委の同和教育に関する基本的な考え方、四月二一日から同月二八日までの間の一郎の言動、とりわけ一郎が同月二二日被告森田にした話の内容等に加え、寺村は、同月二八日、路上で偶然出会った教育長森田に対し、一郎と話をして原告と会うことになった旨話した上、被告森田にも電話で同旨の話をし、五月三日には教育長森田及び被告森田に対して原告と話した結果を報告したこと(<書証番号略>、証人木村、同森田、被告森田)、右報告の内容をみると、原告は、一郎の立場もよく理解できるが、自分が地区出身であるとは考えていないと言っていたので、一郎と原告との間の意識のずれをなくして二人が同じ考え方になるには時間がかかるなどというものであり、被告解同市協は、寺村からの報告内容につき、寺村が原告に対し、同じ立場の教師として避けて通れない道であるので、勇気を出すよう説得したと要約していること(<書証番号略>、証人寺村)、更に、寺村は、昭和四六年から昭和六三年三月まで市教委に在職しており、被告森田から寺村であれば本件落書事件に適切に対処できると信頼されていたこと(証人寺村、被告森田)などを総合すると、寺村は、市教委や被告らの意向を汲んで、原告と会ったということができる。
しかし、<書証番号略>には、被告森田が四月二八日教育長森田及び寺村と事態打開のため話し合った旨記載されているが、被告森田、教育長森田及び寺村はいずれも右話し合いの事実を否定していること、木村は、右記載は誤りであり、教育長森田から右話し合いはなかったので書き直すよう指示された旨証言していることなどに照らすと、教育長森田からの右指示の時期等に関する木村の証言にややあいまいな点があることを考慮しても、右記載の正確性には疑問があるといわざるを得ず、仮に右記載のとおり事態打開のための話し合いが行われたとしても、その内容が明らかでなく、また、被告森田は、寺村に原告と会って話をするよう事前に頼んだことはない旨供述しており、同供述の信用性を排斥するに足りる証拠はなく、寺村が被告らから要請されて原告と会ったとまで認めることはできない。
5 五月四日から同月一六日までの経緯
(一) 証拠によって認められる事実は、次のとおりである。
被告解同市協事務局は、五月一〇日、高知市秘書課に対して学習会の開催を申し入れたが、これに先立ち、木村は、同事務局から本件落書事件を含む差別事件への対応に関する学習会を開催したいと打診され、これを一郎に話すと、一郎からそれは糾弾会ではないかと言われた(<書証番号略>、証人木村)。そして、前記第二の一3(四)のとおり、一郎は、同月五日ころ、原告に対し、被告解同市協から木村を通して一〇〇人からを動員して糾弾すると言われた旨話した(<書証番号略>、原告)。
原告は、同月六日、一ツ橋小の校長及び教頭が市教委から電話で呼び出しを受けたことを知り、校長及び教頭に対し、自ら本件落書の該当者であることを認めて部落民宣言をする意思はない旨言明して、これを市教委に伝えて欲しいと要請し、六年担任教員にも自ら事情を説明した(<書証番号略>、原告)。その後、校長及び教頭は、市教委で教育次長、学校教育課長及び木村と会い、本件落書の対象とされた教師が身を切られる辛い思いをしているとして、職場での今後の対応を質されたが、現時点では職場の態勢が整っておらず、右教師の存在を発表するとかえって問題が出てくるので、今は何でも話せる職場作りなどをする必要があると説明した(<書証番号略>)。
一方、一郎は、右同日開催された市教委同和教育推進本部本部員会議(推進本部会議)において、本件落書事件の概要が報告された後、市教委に無断で被告解同市協へ地区出身者が二名いると連絡したこと、及び、同和教育の啓発が不十分であったため連続して落書事件が発生したことを反省し、同和教育課長として責任を感じている旨表明すると共に、原告が一ツ橋小に勤めており、その父親が地区出身であるが、同和教育が人の心を変革することを目的とするものであるにもかかわらず、原告が未だ自己変革できていないので、今後新たな決意で取り組んでいきたい旨表明し、同月一一日の校長会でもほぼ同旨の反省と決意を表明した(<書証番号略>、証人森田、同木村、原告)。
木村は、同月九日朝、一郎から、原告が一ツ橋小の職員会で、①自分は地区出身という意識を持っていない、②本件落書は自分を指しているものとは考えられない、③主人の地位によって私が束縛されるのはおかしい、という趣旨の話をするかも知れないと聞き、原告が職員会で右のような話をし、それが議論されないまま一ツ橋小の考え方として通用していくとすれば、同和教育課長の従来の同和教育に対する取り組みと矛盾するので、同課長の立場を何とかしないといけないと考え、一ツ橋小に赴き、校長に対し、職員会で原告が右のような話をした場合、これを契機として校長から前記第二の一3(五)のとおりの考え方もあることを示し、職員会で議論してもらいたい旨依頼した(<書証番号略>、証人木村)。
また、教育次長及び学校教育課長は、同月一〇日及び同月一六日の二回にわたって原告と会い、市教委や一郎の立場を理解して欲しいなどと指導した(<書証番号略>、原告)。
(二) 被告解同市協から申し入れのあった学習会の趣旨、一郎が二回にわたって反省と決意を表明した理由及び木村が校長に右のような依頼をした理由等について順次検討する。
学習会は、五月一〇日の申し入れにもかかわらず、結局開催されなかった(証人木村、被告森田)のであるが、その理由につき、被告森田は、右申し入れは非公式なものに過ぎず、学習会を開くと、主として原告の問題が取り上げられることになるが、一郎と原告との間には離婚等の問題があり、未だ十分な話し合いが行われていなかったため、学習会を開くのは適当でないと考え、正式な申し入れをしなかった旨供述していることなどにかんがみると、一郎が原告に部落民宣言をさせることができないため学習会で糾弾されると推知したことから、被告ら及び市教委が学習会の開催を差し控えたとみる余地がないわけではないが、学習会は、差別事件が発生した場合、これを教材として行政のあり方などを学習するものであり、本件落書事件までにも何回か開かれていた旨の寺村の証言などを考慮すると、学習会が開催されなかったことから直ちに被告解同市協の申し入れに係る学習会が一郎を糾弾することを意図したものであったと認めることはできない。
次に、一郎が行った反省と決意の表明が自発的なものであったかどうかをみると、推進本部会議は、市教委に属する課長以上の職員によって構成されるものであり、五月六日には本件落書事件の概要、同和教育課としての取り組み方針等を相互に認識し協力をする趣旨で開催されたこと(証人森田、同木村)、校長会は、市教委の学校教育に関係する課長と高知市内の小中学校等の校長によって構成され、市教委の主宰で開催されるものであること(証人森田)、同月二四日の定例教育委員会での報告のため市教委内部で作成された文書中には、「たとえ、私的といえども『妻が地区出身であることを明らかにしていないが、そのことはそっとしておいてほしい』との発言がされたことについては、隠すことは、地区出身であることが恥じ、他人に知られたくないということであり“地区出身であることをむしろ誇りに思える環境づくり”という同和教育の基本からしても適当とは言えない。」と記載されていること(<書証番号略>、証人森田)、前記のとおり一郎が同和教育課長としての立場と原告の夫としての立場との間で苦慮していたことなどに徴すると、一郎は、市教委内部において、同和教育課長として右表明をすることを余儀なくされたということができる。
更に、木村の一ツ橋小校長に対する右依頼の趣旨をみると、木村は、個人としての立場で校長と会ったと証言し、教育長森田も同旨の証言をしているが、木村は、校長において木村が同和教育課長補佐として会いに来たと受け取る可能性があることを認識していたと思われること(証人木村)、原告は、校長から木村の話を市教委の指導として受け止めた旨聞いたこと(<書証番号略>、原告)、木村は、四月二三日ころ自らの考え方を書き留めたメモに、原告が本件落書の該当者であり、原告が職場で自らの立場を明らかにしていないことは今日まで市教委として進めてきた同和教育の方針になじまない旨記載していること(<書証番号略>、証人木村)、その他、市教委の同和教育に関する基本方針等を併せ考えると、木村の一ツ橋小校長に対する右依頼は、職員会において原告に自ら地区出身であることを認めさせる方向で議論を進めてもらいたい旨、市教委の意向を伝える意味を持つものであったことを否定することはできない。
6 五月一九日から六月一日までの経緯
(一) 証拠によって認められる事実は、次のとおりである。
原告は、五月一九日、一郎から同月二四日定例教育委員会において校長会で行ったのと同様の反省と決意を表明することになっていると聞き、娘(次女)の仲人が教育委員を務めており、娘の結婚の際原告の父親が地区出身であることを仲人に話していなかったので、一郎が右表明をすると結果的に仲人を騙していたことになるなどと言って激怒し、寺村に電話を掛け、娘の仲人に知れると困るので退職し離婚するなどと言い、同月二〇日、一ツ橋小校長に対し、部落民宣言を拒否しているのに、いつまでも私の出身について公の場で取り上げられるのであれば、本件落書事件について職員会等ではっきりと話をして退職すると述べ、教育長森田に会わせて欲しいと申し入れると、市教委から校長を通じて教育長森田と会うかわりに寺村と会って欲しいと言われたが、一方、原告から右電話を受けた寺村は、同月二〇日朝、学校教育課長に電話を掛け、本件落書事件に関する事項が定例教育委員会の議題になっていることを確認した上、同日午後寺村方で原告と会い、市教委や一郎の立場もある、今回は教育長森田が教育委員会に報告する、あなたも広い心になって欲しいと説得した結果、原告はしばらく様子をみるということになり、その結果を被告森田に電話で伝えた(<書証番号略>、証人寺村、原告、被告森田。なお、証人寺村は被告森田に伝えた記憶はない旨証言しているが、同証言は<書証番号略>及び被告森田の供述に照らして信用し難い。)。
原告は、同月二二日、一ツ橋小校長に電話を掛け、このような状態では退職し離婚しなければ、追い詰められて身も心もずたずたになる、教育長森田及び教育次長と直接話したい、校長も一緒に行って学校の考えを述べて欲しい旨話したが、これに関し、校長は、寺村に相談した後、学校教育課長及び教育次長と会い、退職や離婚を思い止まらせて欲しいなどと言われ、原告と会い、定例教育委員会では教育長森田が教育委員に対し毎月の出来事を報告するのであり、これはどこからも強制されたものではないと説明し、離婚や退職を思い止まらせた(<書証番号略>)。また、教育長森田は、同月二三日、右仲人に会い、原告に関する問題の概要を説明し、協力を要請した(<書証番号略>)。
教育長森田は、同月二四日の定例教育委員会において、一郎が被告解同市協に原告の父親が地区出身であると表明したことが発端となり、その後一郎が原告に父親の出身を明らかにするよう話しているが、未だ明らかにするに至っていないことを含め、本件落書後の経過を報告し、同月三一日の臨時教育委員会では、参考資料として「吉田町周辺落書き事件関連事項に対する市教委の総括と見解」と題する書面を提出したが、同書面には、①一郎の右表明の時期が遅れたこと、②その後の学校への指示の与え方が抽象的であったこと、③原告に対する具体的な対応が不十分であったことにつき、「差別事件の解決がまず被差別者の立場からされるべきであるという面からみて極めて問題があると反省する」などと記載されていた(<書証番号略>、証人森田、同木村)。
以上のような経緯の後、被告森田は、原告に電話を掛けて前記第二の一3(六)のとおり面会を申し入れた。
(二) 被告森田が原告に会いたいと考えた理由等について検討する。
被告森田は、六月一日午前九時三〇分過ぎころ、一郎から電話で、原告が一ツ橋小の職員会で市教委と被告解同市協の圧力によって部落民宣言をさせられると発言すると言うので、同和教育課長の妻として右発言をされると困ると思い、離婚届を出してから右発言をするよう原告にいったが、事前に離婚届を出せないので、もし原告が右発言をしようとしたら止めてくれるよう一ツ橋小校長に頼んだとの連絡を受け、直接原告と会って説得しても原告の気持を変えることは難しいが、これ以上事態が悪化することはないと思い、原告と会って離婚や退職を思い止まらせようと考えた旨供述しているところ、一ツ橋小校長は、同日午前一〇時三〇分ころ、市教委に呼ばれ、原告が離婚すると言っているので思い止まらせるよう依頼されたこと(<書証番号略>)、本件落書後の経緯、特に五月一九日から同月三一日までの経緯に照らし、原告が一郎に対して右のような発言をしたとしても、何ら不自然ではないことなどを考慮すると、被告森田の右供述の信用性を一概に排斥することはできない。
そこで、被告森田の右供述を前提として考えると、被告森田が原告に会いたいと考えたのは、原告に対し、被告らの同和教育に関する基本的な考え方を説明し、部落民宣言をするよう説得するためであったということはできるが、原告に部落民宣言を強要するためであったとまで認めることはできない。また、仮に原告において被告森田が被告解同市協の圧力を背景として原告に部落民宣言を強要しようとして面会を申し入れてきたと受け取ったとしても、被告森田において原告がこのように受け取ることを予期して電話を掛けたと認めることもできない。
一方、教育長森田が五月三一日臨時教育委員会に提出した前記書面における右(一)の記載部分は、右書面の記載全体及び同日に至るまでの経緯に照らすと、市教委は、本件落書事件を契機とし、教師である原告に地区出身であることの自覚を促して部落民宣言をさせることにより、同和教育の一層の充実を図るべきであったのに、これを実現できなかたことにつき、反省の意を表明したものとみることができる。
7 総合的な検討
(一) 原告は、被告らが市教委を介し、更に市教委と一体となって原告に部落民宣言を強要した旨主張しているので、まず市教委について検討する。
市教委の部落民宣言に関する考え方のほか、本件落書後における市教委の原告への対応、すなわち、原告が四月二九日一郎に対し明確に部落民宣言をすることを拒絶したにもかかわらず、元教育次長である寺村は、五月三日、原告に対し、被告ら及び市教委を理解し、部落民宣言をして欲しい旨説得したこと、原告が同月六日一ツ橋小校長に対し部落民宣言をする意思がない旨市教委に伝えて欲しいと言明した後、木村が同月九日一ツ橋小校長に対し職員会で原告に部落民宣言をさせる方向で議論を進めてもらいたい旨依頼し、教育次長らが同月一〇日及び同月一六日の二回にわたって原告に市教委や一郎の立場を理解して欲しいと指導したこと、また、一郎は、同月六日の推進本部会議及び同月一一日の校長会において、反省と決意を表明することを余儀なくされたこと、寺村は、同月二〇日、同月二四日の定例教育委員会で一郎が右同様の表明をすることに異議を唱える原告に対し、定例教育委員会では原告の出身にかかわる問題が取り上げられるが、市教委や一郎の立場もあるので広い心になって欲しいと説得したことなどにかんがみると、市教委は原告に部落民宣言をさせるため執ようともいえる説得その他の働き掛けを行ったとみる余地がないわけではない。
(二) 次に右(一)を踏まえて被告らについて検討する。
被告らの部落民宣言に関する考え方のほか、右3(二)で判断した、一郎が被告森田に話し合いを申し入れた理由等をみると、被告らの市教委に及ぼしている影響力は強く、そのため同和教育課長であった一郎の受けていた精神的な負担は大きかったと考えられる上、被告森田は、四月二一日、市教委に対し、本件落書の対象者が部落民宣言をするよう「適切な指導」を要請した後、原告が右対象者であることを知ると、木村らに対し、これを一ツ橋小校長に話すべきであると指摘したこと、同月二二日、原告が部落民宣言をしないことを了解して欲しいとする一郎に対し、原告に部落民宣言をさせるよう努力して欲しいと説得したこと、同月二三日ころ、木村に対し、同月二二日の一郎の発言は同和教育課長として問題があると指摘したこと、六月一日、原告に電話を掛け、原告と会って話したいと申し入れたこと、その他、寺村は、被告森田に対し、五月三日原告に会うことを事前に伝え、その結果を報告したほか、同月二〇日原告と会った結果も報告したことなどに徴すると、被告らは、原告が部落民宣言をすることを切望し、これを実現するため一郎や木村に働き掛け、市教委が被告らの意向を受けて右(一)のとおり執ようともいえる働き掛けをしたということができる。
しかしながら、被告らは、市教委が右(一)のとおり執ようともいえる働き掛けを行うことまで認識し又は認識し得たとまでは認められないし、加えて、被告森田が同月二二日一郎に話した状況をみても、一郎に対する威嚇的な発言をするなどの不穏当な点は窺われないこと、被告森田が寺村に原告と会って部落民宣言をするよう説得することを要請したとは認められないこと、推進本部会議等における一郎の反省と決意の表明、木村の一ツ橋小校長に対する依頼、教育次長らの原告に対する指導につき、被告らが何らかの関与をしたとは認められないこと、被告解同市協が一郎を糾弾することを意図して市教委に学習会の申し入れをしたとは認められないことなどをも考慮すると、被告らが原告に部落民宣言を強要したと認めることはできない。
二被告らに対する名誉毀損について(争点2(一))
1 前記第二の一5のとおり原告が報道機関に情報を提供して掲載させた記事及び原告が行った講演(以下「本件記事等」という。)は被告らの名誉を毀損するものであるかどうかを検討する。
(一) 本件記事等の内容は、概ね、次のとおりである。
原告は、「人権と民主主義・教育と自治を守る高知県共闘会議」(以下「人権共闘」という。)の主催により平成元年一月二七日高知県教育会館で行われた「解同・市教委による人権侵害・教育介入事件真相報告集会」において、被告森田は、同和教育課長になった一郎に対し、「今度は奥さんの番ぜよ。」「もうそろそろ宣言さしや。」と言ったこと、一郎は、一ツ橋小には本件落書の該当者はいないとの報告書を作成したが、木村から本件落書は特定の人物を指していると思われるなどとしてこれを作成し直すよう示唆されたこと、原告は、四月二九日、一郎から部落民宣言をして欲しいと言われたこと、一郎は、被告解同市協から木村を通して一〇〇人からを動員して糾弾すると言われたこと、木村は、五月九日、一ツ橋小校長に対し、①父親が部落民なら本人がどう思おうと部落民とみなす、②同和教育課長の妻が自分の立場を明らかにしないで同和教育をすることは市教委の方針になじまない、③父親のことに触れたくないというのは父親に対する差別ではないか、④今後原告を中心に据えた同和教育を進めて欲しい、と述べたこと、寺村は、同月二〇日、原告に対し、市教委や一郎の立場もあるので、広い心になって欲しいなどと言ったこと、被告森田は、六月一日原告に電話を掛け、個人的に会って話をしたいと申し入れたことなど、本件落書後の経過を説明し、被告ら及び市教委から部落民宣言を強要された旨聴衆に訴え、「私は落書きそのものが貴女達の考えに同調しない私に対する仕返しとしてデッチ上げられたものと当初から思っております。」などと記載した被告森田宛の手紙を読み上げた(<書証番号略>)。
次いで、原告は、人権共闘の主催により平成元年四月二七日RKCホールで行われた「甲野先生の人権を守り、高知市にあたりまえの教育を実現する県民集会」では、原告は非常に意図的と思われるような本件落書の該当者に無理矢理仕立てられた、被告解同市協と市教委がゆ着して様々な手段を用いて原告に部落民宣言を強要したなどと話した(<書証番号略>)。
また、平成元年二月二一ないし二四日付「赤旗」に連載された「『解同』と高知市教委による人権侵害事件の全容」と題する記事をみると、本件落書後被告解同市協が市教委に対し適切な指導を申し入れたこと、被告森田が同和教育課をたびたび訪れて同和教育課長になった一郎に対して「もうそろそろ奥さんに宣言さしや。」と話したこと、一郎は悩んだ末四月二九日原告に部落民宣言をして欲しいと頼んだこと、木村は五月九日一ツ橋小校長に対し原告に部落民宣言をさせるよう指導したこと、市教委は五月一一日一郎に対し本件落書の該当者は妻であると思う旨発言させたこと、教育長森田は原告の娘の仲人を訪ねて原告の父親が部落民であると暴いたことなどを指摘し、被告解同市協と市教委は、多数の者を通じて組織的に、原告に対し部落民宣言の強要を続けてその人権を侵害したにもかかわらず、何ら反省せず、原告と一郎との間のもめごとであるとして一郎個人に責任を転嫁しようとしている旨記載している(<書証番号略>)。そして、平成元年三月四日付「赤旗」は、「話題この人」の表題を掲げ、部落民宣言を強要した被告解同市協及び市教委と闘っている教師として原告を紹介し、一郎が被告解同市協の意向を受けて原告に部落民宣言をするよう話したこと、原告がこれに応じなかったため、木村が一ツ橋小校長に圧力をかけるなどしたことを指摘している(<書証番号略>)。
その後、平成元年三月六ないし一一、一三、一四日付「赤旗」には「許すな人権侵害」と題し「高知『解同』らとたたかう女性教師」との副題を付した記事が連載され、同記事の内容をみると、被告解同市協及び市教委が原告に部落民宣言を強要したのは解放教育の名による人権侵害であるとし、被告解同市協は、一ツ橋小の職員の中に部落出身者がいるかも知れないとして市教委に調査を申し入れたこと、市教委は、四月二二日一ツ橋小校長に対し、職員の中に部落出身者が存在することを前提として対処するよう指導したこと、一郎は、同月二九日、原告に部落民宣言をさせるよう被告解同市協から指示された旨話したこと、原告はこれを拒否したが、被告解同市協と市教委は、寺村や一郎を通じて部落民宣言を強要したこと、被告解同市協は、一郎に対し、原告を説得できないのは一郎が差別意識を持っているからであると糾弾したことなどを指摘し、また、記事の中央部に「ターゲットは決まっていた……」と見出しを掲げた上、被告森田が同和教育課長になった一郎に対し「奥さんに宣言させや。」と言ったこと、一郎が木村から本件落書の該当者が存在するという前提で対応すべきであると圧力をかけられたこと、被告解同市協や市教委が一郎に対し「同和教育課長の妻が部落出身者であることを隠すとは何ごとか、早く宣言させよ。」と迫ったことを指摘し、被告解同市協及び市教委が当初から原告を標的としていた疑いがある旨報道している(<書証番号略>)。
更に、平成元年三月一五日付「解放の道」(全解連機関紙)は、「『解同』と市教委が世論の前に孤立」「『旧身分調査』したうえ『部落民宣言』強要する」との見出しを掲げ、被告解同市協が市教委に部落出身の教師がいるかどうかを調査するよう申し入れ、これに市教委が応えて調査を行ったこと、被告解同市協及び市教委は、拒否する原告に何度も部落民宣言をするよう迫ったことなどを報道している(<書証番号略>)。また、同年四月九日及び一六日付「高知民報」は、「私は忘れない」と題し「痛苦の人権侵害」との副題を掲げ、原告の手記の形で、被告解同市協と市教委がゆ着して原告や一ツ橋小校長に圧力をかけたなどといった内容の記事を掲載している(<書証番号略>)。
(二) 右のとおり、本件記事等は、本件落書後の経緯について具体的な事実を指摘し、被告らが原告に部落民宣言を強要してその人権を侵害したことを読者や聴衆に訴えることを主眼とし、更に、被告らが原告に部落民宣言をさせるため本件落書をした疑いがあるとの原告の見解を表明したものであるから、本件記事等の読者や聴衆は、現実に右訴えのとおり被告らが原告に部落民宣言を強要したと理解し、かつ、本件落書そのものが被告らの作為によるものかも知れないとの印象を受けるということができる。したがって、本件記事等は被告らの社会的評価を低下させるものであり、これによって被告らの名誉は毀損されたといわなければならない。
2 本件記事等につき、原告の被告らに対する不法行為の成立を否定すべき事由が認められるかどうかを検討する。
公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、批判、論評を含む表現行為は、その対象とされた者の社会的評価を低下させることになった場合でも、当該表現行為が公共の利害に関する事項に係るもので、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点について真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど批判、論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきであり、仮に右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当であるから、以下これらの点について判断する。
(一) まず、本件記事等の内容が公共の利害に関する事項に係るものであるかどうかについて判断する。
本件記事等は、本件落書を発端として被告らが原告に部落民宣言を強要してその人権を侵害したことを訴え、部落民は自ら進んで部落民宣言をして差別に立ち向かうべきである旨の被告らの考え方や、これに基づく被告らの本件落書後の対応等の社会的活動に対する批判、論評を内容とするものである。
ところで、同和問題は、基本的人権に関する重大な社会問題であること、被告解同市協は、部落解放同盟の構成組織である支部のうち、高知市内の支部によって組織された連絡協議機関であり、部落差別から部落民衆を完全に解放することを目的としていることに加え、前記の地域改善対策協議会基本問題検討部会報告書には、「民間運動団体のこれまでの活動が、同和問題に対する国民の関心を高め、同和問題への行政の積極的な対応を促す要因となってきたという点については、大いに評価されるべきである。」「しかし、今日、民間運動団体にも様々な問題点が指摘されるようになった。」「民間運動団体については、批判は批判として素直に受けとめるという謙虚な姿勢が切に望まれる。」「同和問題の解決のために民間運動団体に期待される役割は決して小さくない。」「同和問題についての国民の理解を深めるため、民間運動団体が国民の納得を得られるような方法で活動を行うことができれば、啓発推進の重要な一翼を担うことができよう。」などと記載されていることを併せ考えると、民間運動団体とその代表者である被告らの、部落民宣言についての考え方や本件落書後の対応等の社会的活動は、被告らの人格的価値に対する社会一般からの評価にかかわる重要な事項であるということができる。
したがって、本件記事等はそれ自体の内容、性質に照らし、公共の利害に関する事項に係るものというべきである。
(二) 次に、本件記事等の目的が専ら公益を図るものであるかどうかについて判断する。
部落解放同盟のほかに、民間運動団体として全国部落解放運動連合会(全解連)や全国自由同和会(全自同)が存在し、部落解放同盟と異なった考え方があり得るし、また、原告は、各人が差別をどのように受け止め、それにどのように対応していくかは個人の自由であり、他人の心の中に踏み込み、その人の生き方にまで口を出すべきではないと考えており、部落民であることを隠す必要はないが、部落民宣言をする必要もなく、同和教育を進めるに当たって部落民宣言をすることに効果があるとは考えていない旨、部落解放同盟と異なった考え方をしている(<書証番号略>、原告)のであって、部落民宣言の問題を含めて同和問題については種々の異なる考え方があるということができる。
そして、原告は、自らの体験、五月二一日一郎が持ち帰った同月一六日付「解放新聞」及び木村のメモ、一郎及び一ツ橋小校長の言動等に基づき、被告ら及び市教委から部落民宣言を強要されたと判断し、このまま黙っていると、四〇年間の教師としての考え方をすべて否定され、部落民宣言をしない信念の曲った教師であると受け止められ、今後も教材として語られ続けるかも知れないので、この際事実を明らかにしておかなければならないと考え、教育長森田に対し、七月六日付書簡において、本件落書後の経過やこれに関する原告の見解を述べた上、被告ら及び市教委が原告に部落民宣言を強要してその人権を侵害した旨訴え、木村の一ツ橋小校長に対する指導を撤回するかどうかなど四項目の質問に対する回答を求めたのを契機とし、合計六通(互いに三通ずつ)の書簡を交わしたが、事実経過について認識が一致していないとして誠意のある回答を得られなかったので、最高責任者である高知市長に対しても、八月一〇日付書簡をもって、教育長森田と交わした書簡を同封して三項目の質問事項につき回答を求めたものの、同市長からも納得できる回答を得られず、再度同市長に九月二日付書簡を送付すると共に、背後で圧力をかけ部落民宣言を要求しているのは被告らであると判断し、被告森田にも同日付書簡を送付したが、被告ら及び市教委が原告に対する部落民宣言の強要の問題を原告と一郎との間の個人的な問題として処理しようとしたと考え、民主主義、基本的人権、同和教育のあり方の面から広く公共の問題として考えていく必要があると思い、事実を明らかにして世論に訴える目的で、報道機関に情報を提供し、講演を行ったものである(<書証番号略>、原告)。
したがって、本件記事等は、被告らの部落民宣言に関する考え方や本件落書後の対応を明らかにし、これについて批判ないし論評することを主たる目的とするものであって、専ら公益を図る目的に基づくものということができる。
(三) そこで、本件記事等で摘示された具体的事実の主要な部分について、これが真実であるかどうか、また、真実でないとすれば、原告がこれを真実であると信ずるにつき相当の理由があったかどうかを検討する。
(1) 本件記事等で指摘された事実のうち、被告解同市協は、一ツ橋小の教職員の中に部落出身者がいるかも知れないとして市教委に調査を申し入れたこと、市教委は、四月二二日一ツ橋小校長に対し、教職員の中に部落出身者が存在することを前提として対処するよう指導したこと、原告は、同月二九日一郎から部落民宣言をして欲しいと言われた際、部落民宣言が被告解同市協及び市教委の意向である旨聞いたこと、寺村は、五月三日原告に対し、部落民宣言をするよう話したこと、木村は、同月九日一ツ橋小校長に対し、原告を中心に据えた同和教育を進めるよう指導したこと、寺村は、同月二〇日原告に対し、市教委や一郎の立場もあるので広い心になって欲しいなどと話したこと、教育長森田は、原告の娘の仲人を訪ね、原告の父親が部落民であることを告げたこと、被告森田は、六月一日原告に電話を掛け、個人的に会って話をしたいと申し入れたこと、以上の事実は、右一までにおいて判断したとおり、いずれもほぼ本件記事等の内容のとおりであったということができる。
若干補足して説明すると、原告は、五月三日寺村から市教委及び被告森田の使者として会いに来たと言われた旨供述しているところ、寺村が右同日原告と会うに至った経緯に関する原告の供述はややあいまいで信用し難いが、寺村が右同日原告に話した内容及びその後の寺村の言動に照らし、少なくとも寺村が市教委及び被告森田の使者であるとみられる行動をしたことは否定し難いというべきである。また、原告が木村の一ツ橋小校長に対する指導について右報告集会で述べた内容は、原告の理解に基づいて要約して表現されたものであるため、前記第二の一3(五)の事実と対比してやや趣が異なるが、原告がことさら事実を歪曲しているわけではなく、概ね事実に合致するものということができる。
(2) これに対し、被告森田は、同和教育課長になった一郎に対し、原告に部落民宣言をさせるよう述べたこと、一郎は、一ツ橋小に本件落書の該当者はいないとの報告書を作成したが、木村から本件落書が特定の人物を指しているとして報告書を作成し直すよう示唆されたこと、一郎は、被告解同市協から糾弾すると言われたこと、被告解同市協は、一郎に対し、原告を説得できないのは一郎が差別意識をもっているからであると糾弾したこと、一郎は、五月一一日市教委から本件落書の該当者が妻であると思う旨発言させられたこと、以上の事実については、いずれもその内容が真実であると認めることはできない。
しかし、原告の供述、<書証番号略>その他の原告の考えが表明された証拠を総合すると、原告は、被告らが当初から原告に部落民宣言をさせようと画策していたと考えていると認められるところ、右一までにおいて認定した事実のほか、「解放新聞」は、五月二日付では一ツ橋小に部落出身の女性教師が存在するかどうかを慎重に調査し、具体的対策を考えなければならないと市教委等で検討していると報道し、同月一六日付では、一月の段階での市教委の調査では部落出身の教師は存在しないとのことであったが、被告解同市協の調査で部落出身教師の存在が明らかになった、差別事件が起これば、当然部落出身者を中心に据えた対応をし、解放教育を実践しなければならないのに、それを怠っていた市教委の責任は強く追求されなければならない、と報道していること(<書証番号略>被告森田)などを総合すると、原告が右のように考えたことには相当な理由があったということができる。そうすると、原告において、一郎から四月一五日ころの状況を聞き、一郎が被告森田から「今度は奥さんの番ぜよ。」「もうそろそろ奥さんに宣言さしや。」と言われたと理解したこと、一郎から同月二一日の状況を聞き、被告森田が原告を念頭に置いて「適切な指導」を要請した上、教育次長及び学校教育課長に「調査を申し入れているのに知らないとは何ごとか。」と抗議し、一方、一郎が木村からの示唆に基づいて被告解同市協に対し一ツ橋小には本件落書の該当者として原告外一名が存在する旨報告したと理解したこと、一郎から五月一一日の校長会で反省と決意を表明したことを聞き、市教委から指示されて右表明をしたと理解したことには、いずれも相当な理由があるといわなければならない。
また、被告解同市協の一郎に対する糾弾については、本件落書後の経緯のほか、学習会とは、高知市の管理職約一五〇名及びこれとほぼ同数の被告解同市協の構成員が出席して行われるものであったこと(証人木村)、更に、昭和六一年八月の地域改善協議会基本問題検討部会報告書には、同和問題について自由な意見交換を阻害している要因として、「民間運動団体の確認・糾弾という激しい行動形態が、国民に同和問題はこわい問題、面倒な問題であるとの意識を植え付け、同和問題に関する国民各層の批判や意見の公表を抑制してしまっている。」と記載されていることなどを併せ考えると、原告が前記第二の一3(四)のとおり被告解同市協から糾弾すると言われたと一郎から聞き、一郎が原告に部落民宣言をさせることができないため、真実右のように言われたと信じたことには相当な理由があるといわなければならない。また、被告解同市協が一郎に対して原告を説得できないのは一郎が差別意識を持っているからであると糾弾した旨の「赤旗」の記事が原告の提供した情報に基づくものであるとしても、少なくとも被告らが原告に部落民宣言をさせることのできない一郎を批判していたことは事実であるから、原告が右記事の内容のとおりの事実があったと信じたことにも相当な理由があるということができる。
(四) 原告は、被告らが原告に部落民宣言をさせることを意図して本件落書をした疑いがある旨の情報を報道機関に提供すると共に、講演会でも同旨の発言をしているが、原告の抱いた右疑いの内容はその前提となる事実と対比して著しく均衡を欠くものではないこと、本件記事等を全体として考察すると、被告らの部落民宣言に関する考え方やこれに基づく社会的活動に対する批判、論評を主題とするものであり、本件記事等の内容は、右主題を離れてことさら読者や聴衆に対し被告らが本件落書をした疑いがあることを印象づけようとしたものとはいえないことなどを考慮すると、原告が右疑いを表明したことをもって批判、論評の域を逸脱しているというべきではない。
なお、被告森田は、一郎が原告から聞いた話として、一月の落書のときから、一ツ橋小の教職員間のうわさでは、本件落書をしたと思われる者について具体的な名前が挙がっており、以前その人物と原告との間で同和問題を巡っていさかいがあった旨供述し、教育長森田及び木村もこれに沿う証言をしているが、原告は、本件落書をした者についていろいろなうわさがあったものの、右のようなうわさがあったかどうかは覚えていないし、学校で同和教育について個人的に論争したことはない旨供述していることにかんがみると、被告森田の右供述は右判断を左右するものとはいえない。
(五) 以上のとおりであるから、本件記事等につき、原告の被告らに対する名誉侵害の不法行為は成立しないというべきである。
三原告に対するプライバシー侵害及び名誉毀損について(争点1(二))
1 被告らの前記第二の一4の各行為が原告のプライバシーを侵害し又は名誉を毀損するものであるかどうかを検討する。なお、「解放新聞」は、約一五〇〇部発行され、市役所及び各学校等に配付されている(被告森田)。
(一) 別紙記事(一)の内容は、原告の父母や弟妹の私生活、原告の父親に対する感情及び原告の結婚の際の状況であり、いずれも一般人の感受性を基準として公開を欲しないと認められる事柄であるから、たとえ真実に合致するものであっても、これらをみだりに公開することは原告のプライバシーの侵害に当たるというべきである。したがって、前記第二の一4(一)のとおり被告森田が被告解同市協の名で別紙記事(一)のとおり記載した書簡を一ツ橋小の全教職員等に配付した行為は、原告のプライバシーを侵害するものである。
(二) 別紙記事(二)の内容は、原告の父親の出身や私生活及び原告の父親に対する私的な態度を指摘し、これに関する被告らの見解を表明したものであるから、前記第二の一4(二)のとおり被告らが平成元年四月一七日付「解放新聞」に別紙記事(二)のとおりの記事を掲載した行為は、右(一)と同様、原告のプライバシーを侵害するというべきである。
更に、原告は、右行為が原告に対する名誉毀損に当たると主張しているが、名誉とは人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価であり、名誉を毀損するとは右評価を低下させることを意味するところ、これらの私生活上の事実は、原告自身の私生活上の不行状と異なり、原告の社会的地位に照らし、その職責を遂行する能力や資質を判断するに際して考慮されるべきでない私的事項であり、原告に対する社会的評価を低下させる性質を持つものということはできず、したがって、右記事の掲載は、たとえ原告に精神的苦痛を与えるとしても、その名誉を毀損するものとはいえないので、原告の右主張を採用することはできない。
(三) 被告らは、一二月二六日付及び平成元年五月二二日付「解放新聞」において、前記第二の一4(三)のとおりの記事を掲載しているが、後記3(一)で認定する右記事の前後関係と併せて右記事の内容をみると、原告は、自ら地区出身であることを自覚できていないあわれな人間であり、同和問題の本質が理解できていない上、物事を客観的かつ合理的に判断する能力を欠いている、という印象を読者に与え、原告の人格的価値を強く非難し、その社会的評価を低下させるものであるから、右記事の掲載によって原告の名誉は毀損されたというべきである。
2 被告らの前記第二の一4(一)の行為につき、原告に対する不法行為の成立を否定すべき事由が認められるかどうかを検討する。
(一) 被告森田が別紙記事(一)のとおり記載された書簡を一ツ橋小の全教職員等に配付した理由をみると、次のとおりである。
原告は、右二2(二)のとおり被告森田に送付した九月二日付書簡において、高知市と連帯して慰謝料二〇〇万円を支払うよう求め、これに応じなければ刑事、民事の法的手段その他世論に訴える行動に出ると通告したほか、被告森田は、原告の父親の身分を暴き、木村を通じ、部落民宣言を原告に強要し、一〇〇人を動員して一郎を糾弾すると原告を脅迫したこと、原告及びその支援者は被告らが本件落書をしたと考えており、本件落書事件は被告らが中心となった原告に対する差別事件であることなどを記載した(<書証番号略>)。これに対し、被告森田は、右のとおり被告らの名誉を傷つける事柄を記載した書簡が送られてきたため、これに対する反論として九月八日付書簡を原告に送付したが、同書簡において、原告の父親の身分を暴いたことはなく、原告の父親の出身等はすべて四月二二日に一郎から聞いて初めて知ったことを明らかにするため、一郎から聞いた内容を別紙記事(一)のとおり具体的に記載した(被告森田)。
ところで、前記第二の一4(一)のとおり右書簡を一ツ橋小の全教職員等に配付した理由につき、被告森田は、校長会及び教頭会については、原告が一ツ橋小校長は本件部落民宣言強要問題について責任を取って辞職したと述べたので、校長会や教頭会から事実関係について問い合わせがあったためであり、原告の娘婿については、もはや一郎では原告を説得できず、娘夫婦であれば円満に説得できるかも知れないので、本件落書後の経過を知らせた上、一方的に世間に訴えるのを止めるよう原告を説得してもらうためであり、一ツ橋小の全教職員については、原告が一ツ橋小の教職員組合分会や職員会で被告らから部落民宣言を強要されたなどと一方的に誤った事実を話していたので、これを訂正するためであった旨供述しており、要するに、原告が一方的に誤った事実を述べて被告らの名誉を毀損したため、これに対する反論として正しい事実を知らせようとしたというのである。
以上を併せ考えると、被告森田が別紙記事(一)のとおり記載した右書簡を一ツ橋小の全教職員等に配付した理由は、原告によって被告らが原告の父親の身分を暴いたと非難されたことに反論するためであったということになる。
(二) 他人に知られたくない私生活上の事実であっても、全く公表することが許されないわけではなく、これを公表する必要が生じることもあるが、公表が許されるためには、当該事実が社会一般の正当な関心事であると認められ、かつ、その公表した内容及びその方法が必要かつ相当と認められる範囲内のものであることを要すると解すべきであるから、右(一)の認定を前提としてこれらの点について判断する。
まず、被告らが原告の父親の身分を暴いたかどうかが社会一般の正当な関心事となっていたか否かについては、原告は、被告森田宛の九月二日付書簡中には被告らが原告の父親の身分を暴いたと記載しているが、被告森田が原告宛の同月八日付書簡を配付する前に、原告が校長会、教頭会、原告の娘婿及び一ツ橋小の全教職員に対して右記載のような事実があったことを指摘したとは認め難いから、右事実の有無が社会一般の関心事になっていたということはできない。
また、原告が被告らによって暴かれたとする父親の身分は、父親が地区出身であることを意味しているとみるのが相当であり、これについては、本件落書前に一郎が講演会で明らかにしていたほか、四月二一日にも一郎が一ツ橋小には本件落書の対象者として原告外一名が存在すると被告解同市協に連絡したのであるから、被告らによって原告の父親が地区出身であることを暴かれたとの非難に対する反論としては、これらの事実を指摘すれば足りるのであって、被告らが公表した内容は、原告の被告らに対する右非難への反論として必要かつ相当な限度を超えているといわなければならない。
したがって、被告らの前記第二の一4(一)の行為については、その違法性は否定されず、不法行為が成立するというべきである。
3 被告らによる前記第二の一4(二)及び(三)の各記事の掲載につき、被告らの原告に対する不法行為の成立を否定すべき事由が認められるかどうかを検討する。
(一) 右各記事の前後関係は、次のとおりである。
まず、一二月二六日付「解放新聞」は、原告(但し、仮名で「A教諭」)が被告森田及び高知市長に対し慰謝料二〇〇万円を支払うよう請求した事実を挙げ、本件落書後の経過を記載した後、同和教育を実践している者が二〇〇万円の支払いを受ければ円満に解決するという発想をするとは、その常識を疑わざるを得ない旨指摘し、次いで、地区出身の教師が自らその出身を自覚して堂々と部落民宣言をすることが同和教育の基礎となり、これによって真の解放教育が実現できるとし、A教諭には部落民宣言をすることができるよう自己変革を望みたいと記載している(<書証番号略>)。
更に、「解放新聞」は、平成元年四月一七日付で、人権共闘、全解連を始めとする「日共」差別者集団は、一二月五日以降、七〇回を超える差別報道をし、被告解同市協とそれに屈伏した市教委が原告の身分を暴いて原告に部落民宣言を強要したなどという内容の差別文書を高知市内の各所で配付していることを指摘し、これに対する被告解同市協の見解等を明らかにし、平成元年五月八日付では、「赤旗」が同年三月六日以降「許すな人権侵害」と題して右同様の内容を報道したことに対する反論等を掲載し、同年五月二二日付では、人権共闘が同年三月一六日付で高知市長に対し、被告森田が原告のプライバシーを暴いた文書を一ツ橋小の全教職員に送付したことに関して公正で適切な対応を求めたことにつき、被告らの見解を示している(<書証番号略>)。
(二) ところで、右2(二)のとおり、他人の私生活上の事実の公表が許される場合があり得るので、これについて判断すると、右(一)の事実に照らし、社会一般の正当な関心事になっていたのは、被告らの部落民宣言に関する考え方の当否や、被告らが原告に部落民宣言を強要したかどうかであって、原告の父親の出身や私生活及び原告の父親に対する私的な態度ではなかったというべきであり、したがって、被告らの前記第二の一4(二)の行為については、その違法性は否定されず、不法行為が成立するといわなければならない。
(三) また、右二2のとおり、批判、論評を含む表現行為は、その対象とされた者の社会的評価を低下させることになった場合でも、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くことがあると解すべきであるから、これについて判断する。
まず、前記第二の一4(三)の「解放新聞」の記事の内容は、原告が小学校教員としての適性や能力を欠くことを読者に訴えることに主眼があるとはいい難く、部落民宣言を巡る同和教育のあり方や本件落書事件への被告らの対応などについて、被告らの見解を読者に伝えることを主題とするものである。更に、同和問題の意義、被告解同市協その他の民間運動団体の活動の重要性のほか、原告は、一一月中旬ころ、高知県教職員組合(県教組)に赴き、本件落書後の経緯を報告し、支援を要請したこと(原告)、平成元年二月一九日には日本共産党国会議員調査団が調査に来て原告を激励し、同年五月一五日には日本社会党国会議員調査団が市教委等から事情を聴取したこと(<書証番号略>)に照らし、「解放新聞」に右(一)の記事が掲載されたころには本件部落民宣言強要問題が社会の耳目を集めていたと考えられることなどを考慮すると、「解放新聞」の右(一)の記事はもちろん、その一環として掲載された前記第二の一4(三)の記事も、公共の利害に係る事項を専ら公益を図る目的で掲載したものと認めることができる。
次に、「解放新聞」で指摘された事実が真実であるかどうかについては、原告は、被告森田に対し、九月八日付書簡で、高知市長と連帯して慰謝料二〇〇万円を支払うよう請求したこと(<書証番号略>)に加え、県教組等によって組織される人権共闘は、教育長森田との交渉を申し入れたが実現できなかったため、平成元年一月二三日教育長森田宛の公開質問状を発し、前記報告集会及び県民集会を開催したほか、同年二月二日右公開質問状を街頭で配付し、更に同年三月一一日ころビラ八ないし一〇万枚を高知市内の各戸に配付したこと(<書証番号略>)、全解連調査団は、同月七日、人権共闘から本件部落民宣言強要問題の経過等について報告を受けた後、街頭宣伝をしてビラ約三〇〇〇枚を配付したこと(<書証番号略>)に徴すると、右事実は、ほぼ真実に合致するものであったと認めることができる。また、前記第二の一4(三)の記事の表現にやや不適切な点があるとしても、「解放新聞」の右(一)の記事を全体として考察すると、右主題を離れてことさら原告を中傷し辱めようとしたものとはいえず、批判、論評としての域を逸脱しているということはできない。
したがって、被告らの前記第二の一4(三)の記事を掲載した行為につき、被告らの原告に対する名誉侵害の不法行為は成立しないといわなければならない。
四原告の損害の額及び謝罪広告の要否(争点1(三))
被告らが前記第二の一4(一)及び(二)のとおり原告のプライバシーを侵害したことによって原告が被った損害の額について考えるに、被告らが行ったプライバシー侵害の態様、被告らが右侵害に及んだ経緯、被告らの右侵害後の態度、原告の受けた被害の程度、原告の社会的地位等を総合すると、原告が被った精神的苦痛を慰謝するための金額としては五〇万円が相当であり、本件事案の内容、審理の経過、右認容額等に照らすと、被告らに負担させるべき弁護士費用は一〇万円が相当である。
謝罪広告の要否については、民法七二三条は、人の社会的評価が低下させられた場合において、これを回復するための方法として謝罪広告等の回復処分を認める趣旨であるところ、私生活上の事実がみだりに公開された場合は、謝罪広告等によってこれが公開される前の状態を回復することはできないので、謝罪広告等による救済に適さないと解するのが相当である。したがって、原告は被告らによるプライバシー侵害を理由として謝罪広告を求めることはできない。
五結論
以上のとおりであるから、原告の本訴請求は主文一項記載の金員の支払いを求める限度で理由があるので認容し、原告のその余の本訴請求及び被告らの反訴請求はいずれも理由がないので棄却することとする(仮執行宣言については、相当でないからこれを付さないこととする。)。
(裁判長裁判官溝淵勝 裁判官佐哲生 裁判官河田充規)
別紙広告(一)
謝罪
部落解放同盟高知市連絡協議会
森田益子
甲野春子 殿
記
私達両名は、甲野春子さんに対して部落民宣言を強要したうえ、私生活にかかる事項を公表するなどの行為を行なってきたことによって、甲野春子さんの名誉を著しく毀損したことを、深く謝罪致します。
別紙広告(二)
謝罪
甲野春子
部落解放同盟高知市連絡協議会 殿
森田益子 殿
記
私は、部落解放同盟高知市連絡協議会殿及び森田益子殿が私に対して、部落民宣言を強要したうえ、私生活にかかわる事項を公表するなどの行為を行なったなどと、事実無根の内容をマスコミや多くの人達に公表しました。
かかる私の行為によって、部落解放同盟連絡協議会殿と森田益子殿両名の名誉及び信用を著しく失墜させたことに対し、深く謝罪します。
別紙記事(一)
父親の件ですが、これは全て、貴女のご主人から聞かされました。
① 南国市野中の乙川二郎という方で、ひどい酒乱の癖があった。
② 今でも、時々妻は、夢でうなされ、父の恐怖にからまれている。
③ 妻の母は、三人の子持ちの未亡人だった。乙川二郎と内縁関係で、春子を頭に四人の子供を産んだ。
④ 私との結婚の時にも、甲野家の方から、差別され反対があり、教育事務所に頼んで、風呂敷包みをさげ、駈け落ち同様東津野に行った。
⑤ 更に弟は、酒乱の父親を、手ひどい目に合わせ、父は、これ以上、大豊でいると弟に殺されるかも知れないと言って、南国に帰っていった。
⑥ 末の妹は、私達同様、結婚差別故に自殺した。
⑦ 晩年は、淋しく静かに暮していた。
別紙記事(二)
彼女が言うように「父が部落出身である事は知っていたが、私は地区外で生まれ育ち部落民とは思っていない。私の娘の結婚と、私の父とはなんら関係がない。父親の親戚とは一切付き会っていない」といっているが、では彼女は一体誰の子供かと聞きたい。
(中略)
甲野一郎元課長が「春子は、今も十年前に亡くなった父親の夢を見て、度々うなされ、父の恐怖にからまれているので、父親のことを口にすることに抵抗がある」と話したことがあった。
酒乱の父だったと言うが、何故父がアルコールの力を借りて、暴力を振るわなければならなかったのか少しでも考えようとはしなかっただろうか。
南国に帰った父は、酒を飲んでも暴れることはなかったと聞く。大豊にいた当時の父は孤独だったのではなかろうか。